鮭を訪ねて、時は明治に遡る

  • 2016.10.07 Friday
  • 04:47

まさか、今、目の前にある紅鮭が、歴史をひもとけば明治時代に端を発していると、思いもしなかった。

きっかけは、先日お話した本紅の販売終了である。

 

本紅に替わる旨い紅鮭を探し、本紅を漁獲していた海域はどこなのかと考えた。

紅鮭は北方、ロシア・カナダ・アラスカの、行き着く先に湖がある川を遡る。

つまり日本の海域にいる鮭ではなく、日本人が船団を組んで北洋で漁獲したのが、日本人が獲った紅鮭、つまり本紅。

 

最初に獲ったのはいつで、誰なのか?

築地場内の図書館「銀鱗会」を訪ねて鮭の古本を探していると、鍵のかかった本棚に、分厚い日魯漁業株式会社の社史を発見。

日露が現マルハニチロの前身だということは市場で伝え聞いていたことだが、創業は明治39年、翌年に新潟より北洋に出漁したと知る。

それからわずか10年にも満たない大正2年に、同社が「DAY BREAK BRAND」の鮭缶を製造・・・。

 

あ…あの缶詰!

新潟村上の鮭ミュージアム「イヨボヤ会館」に展示されていた旧き良きデザインの美しい缶詰。

外貨獲得目的で遠くヨーロッパに輸出するため、英語が配されたノスタルジックなラベルを思い出す。

 

そういえば、当時から半世紀も経た私の子供の頃ですら、あけぼの印の紅鮭の缶詰はご馳走だった。

缶切りでギコギコと缶を開けて、中に1つか2つ入っていた鮭の中骨の、箸ですくうとホロホロと崩れる感触を思い出す。

あけぼの印は、日の出を思わせる紅白のマークが、明治生まれの祖父母の蔵に眠っていた戦争の遺品を思い起こさせ、

子供心に自分が生まれる前に起きた“いろいろなたいへん”なことを想起させられた。

 

さて、明治末期、北洋に向かった帆船は、どこでどんな風に鮭を獲ったのか・・・・。

 

 

 

 

 

 

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