日本船がロシアの海に繰り出すの巻

  • 2016.10.08 Saturday
  • 05:46

市場の図書館「銀鱗文庫」に眠っていた日露漁業の社史は分厚く、長い年月を経て茶色に変色。

そこに語られていたのは、北洋漁業に従事した無数の男たちの生と死の物語でありました。

私はページを繰りつつ呆然としたが、残念なことに女は一人も出て来ない。極寒の地に女は不要なのか。NHKの大河ドラマにはならないな…これでは、と思った次第。

 

さて話は日露漁業の創業よりもさらに昔に遡り、時は江戸時代。1750年代には、すでに南千島や南樺太に繰り出して漁をしていたようです。

そのさらに北方に漁場を求めて野心を燃やすきっかけとなったのが、日露戦争後の明治40年に締結された日露漁業協約で、日本はロシア沿岸での操業が可能となり、いよいよ帆船でカムチャツカまで出漁することに。

 

カムチャツカ・・・皆さん、どこにあるのかわかりますか?

地図上で点々と繋がる千島列島を北へ辿っていくと、大陸からヒュッと突き出て、オホーツク海を抱くように突き出た大きなカムチャツカ半島に行き着く。その半島のデカイこと!

 

ここまで、帆船で鮭を獲りに行ったとは!

その後、明治末期から大正期に、漁の規模拡大と技術の進歩が猛烈にスピードアップします。

すでに大正10年前後には帆船が汽船に替わり、定置網が設置されて大規模漁業に発展。カムチャツカには缶詰工場が建設され、もうバリバリに進出していくわけです。


ロシアも黙っていなかったようです。日本人がごっそりと魚を獲っていくもんですから、海上でも喧嘩が起きる。

日本は、日本海軍の軍艦が漁船を護る形で取り囲み、漁の安全を図ったそうです。

・・・波吹きすさぶロシア海域における、それはすごい光景だったという話は、築地の鮭を扱う古老たちが大好きな物語です。

多分、古老も明治生まれの親父や先代から聞いた話だと思います。

 

(写真は、古い新聞に載っていた地図で、4区と1区の表記に挟まれた半島がカムチャツカです。)

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