母船式サケマス漁業、栄華を極める

  • 2016.10.10 Monday
  • 06:56

時は昭和に移ります。

 

カムチャツカ沿岸での定置網漁に、ロシアから「おいおい」と牽制がかかるようになると、「じゃ、公海で漁をするか!」となるのは、当然の成り行きだったのでしょうか? 昭和4年頃から流し網漁による母船式のサケマス漁業がはじまります。

 

それは、雄大な海上のチームワークで、一船団の編成は、例えば・・・

・缶詰・塩蔵設備を持つ3,000から5,000トンの母船

・冷蔵施設を持つ1,500トンの補助母船

・運搬船

・給油船
・50から55隻の独航船:鮭を獲る船

(昭和8年 カムチャッカ半島の沖合いで操業:日露漁業社史より)

 

5月半ば、北洋の遅い春の訪れとともに、サケマスが群れをなして故郷カムチャツカ半島の川に戻ってくる頃…。半島の手前の公海に船団は陣取ります。母船を中心に独航船が配置され、独航船は夕方に網を下ろして、朝を待ち網を上げ母船へ。母船へ運び込まれた魚は、巨大な船内加工場で内蔵を取除き、缶詰あるいは塩鮭に。

 

最盛期は昭和12〜16年頃。複数の船団が操業し、2万人以上の従事者により豊漁年ともなれば1億万尾を超える漁獲数を誇ったそう。缶詰は第二次世界大戦突入前までは、欧米への輸出が多かったとのことです。

 

私が市場に来た当初、印象深かったのは塩鮭の木箱の「沖」「丘」の印。沖はしょっぱい、丘は塩が甘いと、丸覚え。まさに母船が沖で塩蔵した鮭が、航海を終えて帰港した時に、熟成されて旨い「沖」塩の鮭となると知ったのは、後のことです。

 

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