北洋サケマス漁の最盛期からどん底へ、そして蘇る

  • 2016.10.15 Saturday
  • 04:10

日本の北洋漁業は昭和10年台に最盛期を迎えますが、すでにその絶頂期に暗い影が忍び寄っていました。

太平洋戦争勃発。昭和17年には水産統制令により、日本水産・日露漁業・林兼商店・極洋捕鯨の水産4社が「帝国水産統制株式会社」として強制統合させられます。

 

翌年の昭和18年に、米英ソはテヘラン会議で相会し、ソ連の日本進攻を密約していたとのことですが、北洋の現場で働く人々はそれを知る由もありません。

昭和20年、広島への原爆投下の2日後の88日、ソ連は密約通りに日本に宣戦布告し一挙に満州・樺太・千島に進攻。翌日にはカムチャツカのウトカ漁場で5万缶の鮭缶を積み込んだ笠戸丸を撃沈。終戦までのわずか10日ばかりの間に、多くの操業船舶は逃げ切れずに撃沈あるいは拿捕され、死傷者の数は計り知れず、820日の終戦後にシベリアに抑留された多くの水産従事者もまた、刑死・病死で命を落としました。

 

終戦後、縁あって築地に職を得たシベリア帰りの方々も、今はもう鬼籍に入りました。現在70代の鮭屋の問屋さんは「うちの店にもいたけど、抑留については、多くは語らなかったな」とのこと。

 

終戦後、日本は北洋への出漁は禁じられ、その後5年を経た昭和25年講和条約が発効されて再び操業が再開されます。かつて莫大な漁獲を得ていたソ連沿岸には近づくことはできず、当初はアリューシャンで操業をスタート。その後、年毎の折衝を繰り返し、徐々に操業範囲を広げていったそうです。

 

築地に残る古い業界紙の綴をめくっていくと、昭和2753日付けの記事に「国際関係に微妙」との見出しがあり、北洋で漁業協定に違反のないよう、慎重に操業する様がレポートされています。また、南千島付近での漁船の拿捕が年間200隻近いとも。

 

北洋から遠くはなれた東京の築地市場もまた、終戦後5年を経て、ようやく活気を取り戻し始めていました。昭和24年にはサケ・マス・カニ缶の統制が撤廃、昭和254月にすべての統制がはずされて、商売に復帰する人々が明るい笑顔を見せ始めた頃のことです。

 

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